足つぼという贈り物②
足つぼをしていて、すごくほっこりしてしまうことがあります。
今晩もその中の一つのストーリーを。
足は人を現すというけれど、こうまで似ますか?
ふつう、人の身体を単なる構造物として捉えるなら、背丈や性別が違えば疲れるところも違ってくるだろうという感じですが、そうでないことも多いです。
例えばご夫婦で来られると、同じ場所を同じような痛がり方で反応することがよくあります。
食生活や行動パターンが似てくると溜まる疲れも似てくるのかなと思うのですが僕はここで色んなことを感じます。
身体が悪いということですか?と聞かれますが・・・
足つぼをしていると、「いやぁ痛いということは体が悪いということですか?」と聞かれることがめっちゃ多いです。
ですが、一点の反射区を指して「ここが悪い、あそこも悪い」というのはちょっと違うなぁと最近思います。
体調とは常に陰と陽が互い違いに現れるし、悪いというより心をどこに置いてあるのかということが肝要なのかなって。
それを「足裏の状態まで仲良し」なご夫婦を見ていると感じます。
死ぬとき
そういう、「足裏まで仲良し」なご夫婦は、足裏が悪くそれが将来その方の命をも奪おうとも、僕はとてもじゃないですが「気を付けてください」と言えなかったです。
何か、何も言えない特別なモノを感じたんです。
それはたぶん、「このお二人は死ぬその時まで、涙を流しながら笑顔で逝く相手を見送るんだろうな。きれいだな。」と映像で見える時があるからなんです。
身体の良い悪いというのは生は喜ばしいことで、死は忌むべきものだという発想から来ています。
そうではない。
そんなことを、足裏仲良しのお客様は伝えてくれる。
僕はそんな瞬間に出会うために、生きている。