健康という概念じゃあかん!?

僕は最近、「健康」ってなんだろうと考えるようになりました。違和感を感じたり、自分は「元気」とか「活力」という言葉をよく使うようになっていたからです。今回はそんな「健康」という概念について考えてみました。

 

健康経営?

僕はざっくりと健康業界という業界で働いています。そう人を健康にするのが役割です。でも健康と言う言葉が僕には合わなくなってきている、違和感を感じる。そう思うようになっていました。

 

決定的だったのは、「企業の働く環境をもっと健康的にする」、「健康経営っていいな!」ということで色々動いているのですが、ある時、健康経営を担当する部署に移ったという女性とのやり取りでした。

 

例えば「働くのが楽しくない」という問題については人事制度の問題になっていくかもしれないし

欠勤率の問題に関しては労働環境(つまりハード面)の問題なので総務の問題かもしれないし

上層部とのミスコミュニケーションに関してはミーティングの設定の仕方に問題があり秘書課や経営企画部の問題かもしれません。

 

健康と言うワードでくくってみたのはいいものの、問題の設定の仕方からその解決の仕方まで飛散しまくっていて収拾がつきそうにない予感がぷんぷんしております。そんな感想を抱くやり取りをしたんです。

 

大企業であればなおさらですし、かけた費用に対して効果があがったのか測定するのはもはや不可能に近い。

 

そこで僕は思いました。そもそも「健康」という概念が曖昧すぎる。この概念の特徴は何か、ということでした。

 

健康という概念の最大の欠陥

この言葉の意味は広く羅列していくことは可能ですがある共通点に気づきました。それは「個人を立脚点にしている」ということです。その人の心と体が平穏に保たれていることを指すのですが、ここの最大の問題は「個からスタートする危険性」です。

 

その人の心と体をどう整えるかという発想で「健康業界」は研鑽を積んできました。しかしすげえええええ当たり前の話をしますが「人は社会を作って」生きています。

 

端的にってしまえば人間関係や自然との関係、未知の世界との関係でその人の体調なんぞ簡単に変化するという事です。心理学や法律学など近代以降に積み上げてきた知識のほとんどがこの「個」から出発していて全体の構造が見えないままになっています。

 

その人の身体をどれだけ切り刻んでも心を研究しても社会の構造や歴史をガン無視してたらじぇんじぇんわかんないことなんていくらでもあると思うのですが、、、。

 

だから「学問がどんどん細分化して言ってもはやその研究はその人しかしてないんじゃねえの?」という分野が出てくることになります。健康分野でも「初めて聞きました的な肩書の専門家」がどんどん増えております。

 

健康と言う言葉、例えば「会社の健康」とか「チームの健康」とは言いません。「会社の人達の健康」、「チームメンバーの健康」という風に常にバラバラの個に分解しないと使えないんです。相互の複雑な構造を貫通できる概念でない以上、チームのパフォーマンスをあげようとするときに一気に焦点が合わなくなってしまう。

 

じゃあ昔はなんやってん?

では昔の人はどう考え生きてきたのでしょうか。はい、有名な言葉ですが「養生」ですね。結構難しい概念で歴史を見ても意味に変遷があるので「こういう意味です」とは言いきれないのが歯がゆいところ。

 

でもその背景には「自然からどう体に入れるのがいいか」という自然との関係が前提にあります。

 

だとすると地域や集団の文化に合わせた「養生」というのがあるはずでこれが時代を下ると「おばあちゃんの知恵」的なモノになっていくのかなと。

 

これがさらに具体的になると「郷土料理」とか「町の伝統祭り」とか「伝統産業」などというものに分化していくのだと思います。

 

健康という言葉はどこかに「普遍的な回答」があるようでどこにもない。適切な運動と適切な食事と適切な睡眠なんていう、もしかしたら何かを言っているようで何も言ってない概念に陥りがちです。

 

それは自然から切り離されたある種、理想化された個が言葉の意味に交じっているからだと思います。

 

夜行性が向いている人はだから不健康というレッテルが張られ、研究によってそれが覆されると「人それぞれ健康の在り方って違うよね」とお茶を濁し、だからチームとして健康を考えると何の方針も出ないという目も当てられない状況となります。

 

むむむ。

どうなんだろうこの仮説・・・。