生きにくさの正体
超絶ありきたりのタイトルを付けてみました。
やりたいことがわからなくてモヤモヤして、結局だらだら家で過ごしてしまう。
あるいはそれどころではなくて、そういう状況がしんどく過ぎていっそのこと消えてしまいたい。
生きずらい。
そんな話を周りから聞く機会がありまして。
その時に自然と出てきた考えをまとめておきたいと思います。
よく分からんけど、身体じゃない??
僕にはやりたいことの見つけ方なんてものはよく分かりません。その問いに答える必要性を感じないし、聞いてるご本人も実はそこが気になっているわけではないんだと思います。
よくよく話を聞いてみると思うのは、
肯定感の無さ
なのかなと。
自分に対しても相手に対しても。
今まで、数値化できるものにしか評価されない社会で育ってきて、いざ社会に放り出されると、数値化されないもので勝手に評価されていく。
訳も分からないまま、まぶしい向こう側の人の、リア充ぶりを横目で見て。
娯楽で自分を慰めるしかない毎日。
この檻の中にいる時点でたぶんやりたい事はもちろん生きていること自体楽しくないだろうなぁと。
行動を変えようにもスマホの向こう側が気になるし、何より怖い。
そこで僕が提案したいのは、今ここまで書いてきて完全に置いてきぼりになっている体の事を思い出してはどうか、ということでして。
頭を使えば使うほど、サッカーチームでいうところの監督ばかりが激を飛ばしている状態なのかなと。
いやいや(笑)ゲームを作るのはプレーヤーでしょうよと。
腎臓や腸がどれだけ人の感情を作り、活力を生み出しているのか。
たぶん生きにくさの正体は目や脳の偏重使用。そして身体性の喪失なんじゃないかと。
だから深呼吸をして脱力するだけでも実は結構安心出来たり。
友達と楽しい食事をするだけも安眠出来たり。
大切な人とsexをするのもそう。
全て身体性を伴っているじゃないか~と。
生きにくさを感じている時って決まって一人で悩んでいるかスマホをいじっている時じゃない??
ランニングしながらめっちゃ不幸感が押し寄せてくる話を僕は効いたことが無いです。
昔の習慣
そう考えてみると昔の人の習慣は全て体を動かすことばかりです。
乾布摩擦とかラジオ体操とか素足で歩くとか、組体操とか剣道とか。
今はデザイン技術とかプログラミン技術とか英語が大事、とか色々言われてますが結構頭だけ使うものが多いなぁと。
ヨガとか流行ってますが男性はあまりしないですよねぇ。
昔は本当に老若男女みんなが体を動かす習慣で溢れていたと思うと、悩む隙間なんてなかったなと気付きます
とは言え現代
昔と比べて脳に直撃している情報量は桁違いです。
さぁ昔と同じことをしましょうと言って緩和されるものでもないでしょう。
だからデジタルデトックスなんてものも流行るんだと思います。
でもデジタルデトックスで周りの人と連絡をよく絶つ方を見かけますが、不便さを多少なりとも周りに振りまいくのは中々広まりにくいライフスタイルだと思います。
ゴリゴリのポジショントークをしてしまうのですが、
だから足つぼはおススメです(笑)
身体の事を忘れてしまったタイミングで、神経を刺激してあげるとバランスが保たれます。
中々デトックスも体を動かす余裕が無くても足つぼなら場所も取らないし時間も30分以内!
いいね!
案外、生きにくさは身体が作り出していることが多いように思います。