技術と言語

 

足つぼの仕事をしていると、やはり一番大事なのは技術だなと感じます。

 

技術とは知識であり、経験であり、手先の感覚であり、観察だと思うのですが、それらは周りの先輩から見て学び吸収するものです。

 

よく技術のブラッシュアップをする時に、スタッフ間では擬音語、擬態語が多く飛び交います。

 

感覚や雰囲気、繊細な力加減は言葉情報、文字情報では伝えられないことが多くあるんです。

 

今日は足つぼとは少し話が離れますが、技術を磨くということは日本語を磨くということだ、ということで日本語について記事を書きたいと思います。

 

木は何故「キ」と発音するか

言葉にはなぜそういう言葉になったのか。必ず背景があります。そしてそれはもっと突き詰めると「なぜそう発音するのか」というところが重要です。

 

日本語の場合どうでしょうか。

 

日本語はクルクル、コロコロ、カラカラなど擬音語がたくさんあります。

そしてその理由は口という体の器官を使って、対象物(自然)のイメージを取り込み同化しようとしている表れである、と言う事なのではないかと思います。

 

どういうことか。

 

クルクル、コロコロ、カラカラの共通イメージは硬くて細いものが回転している、ということです。k音が全て入っています。u音が加わると内に閉じた重いイメージ。o音が入ると解放され軽いイメージ。a音が入ると発散されどこかへ飛んでいきそうなイメージ。

 

このイメージの組み合わせによって擬音語が生まれそこからさらに単語、文章と発展していきます。

 

では木はなぜキと発音するか。喉を硬く緊張させ一筋の長い線をk音とi音で表現しています。まさに木のイメージと対応している体の状態が、発音することでリンクします。その体験を通じて人間は自然との交信を試みていたんだと思います。

 

このキという発音が、例えばキケンとかキンチョウとか他の言葉のイメージの土台になっています。

 

このイメージを共有できることが本当のコミュニケーションなんだと思います。

 

この考えは『日本語はなぜ美しいのか』という作品に影響されています。

 

トンデモ本として名高く書評家などからコテンパンにされたものなのですが、日本語の本質についてこれほど腑に落ちたものはない、と思っています。

 

そこから村上の解釈が入っているのですが、大枠はだいたいあっていると思うのでシェアします。

 

日本語はなぜ美しいのか (集英社新書)

日本語はなぜ美しいのか (集英社新書)

 

 

 

 

足つぼと日本語

足つぼは言葉では捉えられないものも捉えられないと難しい。

でも日本語は言葉以前の感覚を磨く時に大切な役割を果たしていると思っています。

 

その時に、僕は少し多めの本や映画と出会えたことに感謝しています。

 

その時の心の綺麗さを思い出せば、技術は、より繊細に磨き上げられるからです。

 

それをまた頑張って言語化する。するとまた技術は一つ変化し深化する。

 

もしかすると異なる言語を学ぶと、技術は違って見えてくるかもしれない。

 

そう思うと英語を勉強したくなるなぁとw