天命。

 

 

 天命。

これが僕が足つぼ師という仕事を始めて得られた言葉です。

 

今回の記事ではなんで足つぼ師として打ち込んでいるのか、書いていきたいと思います。

 

 満員電車に乗り続けた二か月。

 

私は家に引きこもり状態でした。やりたいことはたくさんあるけど何もできない状態。

 

見栄を張りたい自分、本当は何もできない自分、やればできるんじゃないかと思っている自分。脳内は自分から分裂した自分で満員電車状態でした。

 

頭が痛い。

 

自分のせいでかけた迷惑が他人を傷つけていたとしても、自分の精神状態を守るので精いっぱい。要するに逃げるしかできない状態でした。

 

でもこれは何の不幸もハンディキャップも負っていない人間に起きていること。何でこんな精神的に弱いんだろう。

 

そんな感情もただ自分の目の前をぼーっと通り過ぎていくだけでした。ただ自分の感情をテレビやゲームで押し流すしかなかったんです。

 

前職を辞めてからの村上はただのプー太郎。そんな時間は二か月ほど続きます。

 

転機は「彼女が出来たこと」でした。満員電車の脳内から「見栄を張りたい自分」がヒョコッと出てきて、こう考えます。

 

「いい加減、仕事探そ!」

 

そこで見つけた求人が「フットセラピー」という文字。マッサージのアルバイトです。以前から興味はあったんです。何気なく応募してみたところ、見事採用してもらえ、研修が始まります。

 

「名前の付けようのない一か月」が自分を変えた。

 

研修はシンプル。座学、実技を行います。実技もやったり受けたり。学びもするし、足つぼの効果も実感できます。

 

様々なお客様の力加減にお応えできるようになるため、実技は全力でやるので激痛です。足つぼはそもそも痛いですが、全力でやれば笑いが出るほど痛いです。

 

 ですが一週間近くそれを受け続けるとある異変が起きます。

 

一か月以上、夜になれば突然眠くなり、朝はパッと起きれるようになったんです。

 

これだけを書くと普通のことのように感じるかもしれません。

けれど村上は中学生の時から気持ちよく寝て、気持ちよく起きるなんてことはずっとずっとなかったんです。

 

ただその積み重ねがあるだけで、僕は朝から気持ちがどんよりし、それだけで気持ちに余裕が無く、楽な方へ楽な方へただ沈んでいくだけの人生でした。

 

そして病院に行くほどではない不調(頭痛とかお腹痛いとか気持ち悪いとか)が一年を通してずっと続き、25歳まで来てしまっていたんです。

 

そんな自分にとってこの一か月はかけがえのない一か月でした。

 

村上はみんなが当たり前に迎えられているはずの一日を過ごせることを望んでいるだけでした。

 

そんな日がある時突然やってきた。

 

例えが非常に悪いかもしれませんが、久しぶりに目が見えるようになったのと同じくらいの感覚かもしれません。

 

朝から気分よく周りの人に挨拶ができるなんてことはもう自分にはないと思っていたからです。

 

僕が足つぼをやるには十分な理由でした。

 

そしてそんな名前の付けようのない不調はきっとみんなも多いはず。それが如何にその人の人生を不幸せにしているか。私の25年の人生がそれを証明しています。

 

社会問題にも強く関心のある私は、「だから社会問題が解決しないんだ」と思ったほどです。

 

つまり未病(病気以前の病気)が当たり前の世の中が、社会が、何かしようとして課題が解決することは無い。

 

僕は社会問題が解決するだけの活力を、足つぼで引き出していこう。

 

そう思ってから、村上は足つぼ以外のことをしなくなりました。

 

周りの雑音も余計な不安もなく、心の中がすっきり、よどみのない状態になりました。

 

電車の中は早く終着駅に着きたいたった一人の村上だけになりました。